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2010年2月

2010年2月27日 (土)

母の力

話題の女子フィギュアスケートが終わりました。ジョアニー・ロシェット選手がショートプログラムが終わった途端にぼろっと泣いた時に、母が亡くなったときのことを思い出しました。母が再入院したときは、産業カウンセラーの試験が1週間後に迫ったときでした。試験はだめかもと思ったけれど、これを言い訳に逃げたくはなかったので、母の病室のベッドの横でテキストと格闘していました。そしてその4日後に亡くなるのですが、最初は斎場がいっぱいで、通夜は試験当日になりそうでした。ここでもあきらめそうでした。でもどういうわけか(母のおかげだと思うけど)、なんとか斎場の予約ができ、試験は予定通り受けられたのでした。その日、試験の後の夕方から透視リーディングの卒業式。そのときまで卒業できるかどうかがわからない私たち。だから、無事予定通り修了できたとき、その修了証をもらって席に戻ったとき、ロシェット選手と同じように、ぼろ、っと抑えていた感情がでてきたらしく、母の死を実感しました。

彼女のお母さんと違い、我が母は私が記憶の限りでは一度たりとも褒めても励ましてもくれなかったけれど、さすがにこのときだけはきっと「よくがんばった」と思ってくれたのではないかと思いました。彼女の出場は危ぶまれたそうですが、頑張って出場して、なおかつメダルを取れたのは、やはりお母さんのパワーがあったんじゃないかなぁ。

さて、金メダルのキム・ヨナ選手は、韓国の番組ではバラエティーにも出たり、CMにも出たりして、結構露出しています。だから今回の金メダルへのプレッシャーも相当でなかったかと思います。この生放送の時には、視聴率46%です。競技時間にあわせてお昼休みを変更した企業もあったとか。そんな中で失敗をせずに最高の演技をした彼女も立派でした。彼女のお母さんは小さい頃から、何から何まで彼女のスケートのために尽くした方らしいです。まあいわゆるステージママでもあったようです。そんな母への反発の時期もあったりして、それを乗り越えての母娘の絆があったのでしょう。

ちょっとほっとしたのは、以前に浅田真央選手がキム・ヨナ選手の練習の際に邪魔をしたという悪意ある報道があった韓国ですが、今回は彼女にもとても好意的な放送やら記事やらで、ちょっとほっとしました。

オリンピックに限らず、こういう競技が人々に時には勇気を、時には夢を与えています。きびしい練習を乗り越え、オリンピック選手となり、人々にそんな力を与えることのできる選手たちはしあわせですね。

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2010年2月23日 (火)

オリンピックの風景から

普段はあまり普通のテレビは見ないのですが、さすがにオリンピック期間中は比較的見るようになりました。4年に1度の舞台で、びっくりするような力を発揮する人もいれば、プレッシャーで日ごろの成果を出せない人もあり、、、、それぞれです。

オリンピックということで過去の競技の振り返りのようなものも放映していました。長野オリンピックの際、4位だったジャンプチームですが、大会はあまりの荒天に、1回だけの結果で勝敗を決める方向に進んでいました。それだともちろん日本チームにメダルはありません。4年前の原田さんの失敗を挽回させてあげるためにも2回目のチャンスをあげたい。そのとき、本来オリンピックを目指してきた、けれど選考されなかった選手たちがテストジャンパーとしてがんばります。つまり、狭い部屋をあてがわれ、朝早くからテストを繰り返さなければならないという屈辱の中から、彼らの2回目を飛ばせるために、「飛べるのだ」という成果を残すべくがんばるのです。その中で彼らは屈辱の中から、選手と一体になり、結局「飛べる」という結果を残し、選手に2回目のチャンスを与えられます。そして、ご存知のように2回目で金メダルを獲得するわけです。

どんな競技でもその裏方がいて、言うまでもなくその人たちに支えられて彼らは競技ができます。スケートにも、その靴を手作りする人がいて、刃を作る人がいて、ウェアを作る人がいます。一人の選手が好成績をあげる裏には、数多くの裏方さんががんばっていることを忘れてはいけないですね。仕事もそうですけど。営業が「俺たちが売っている」って言ったりすることあるけど、その人の給料を計算したり、売った製品を手配する人があり、その製品を保守する人があり、決して一人で売ってるなんて思ったらいけないですよねぇ。。。。。管理部門の私は特にそう思います。余談ですがメダルをとったスケートの二人の会社は私が青春時代をすごした会社です。だからちょっと別の意味でなんだか嬉しかったです。

メダルをとれたとか、失敗したとか、第三者は好きに言えるけど、当の選手たちは複雑ですね。特にオリンピックは。世界選手権で何度も優勝したり、記録をもっていたりするのに、なぜかオリンピックでは成績がふるわない人も何人もいます。スケートのウォザースプーンとか。運も実力のうちといえばそれまでですけれど。一方大怪我をしたためにかえって力がついたフィギュアの高橋選手のケースもあり。更に、本当は自分のためにがんばっているのでしょうが、お国のためにがんばるように言われてしまうオリンピック。金メダルをとったってその後のあれやこれやで選手としては下降線になってしまうケース、多々ありますね。

凡人から見てみれば、そもそもそういう大会に出られること自体すごいと思ってしまうけれど、すごい人にはすごい人なりの高い基準や目標があるのですね。

願わくば、残りの試合にでる選手たちが、少なくともあがったり、プレッシャーで日ごろの実力が出せないということがないように、祈るばかりです。

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2010年2月13日 (土)

時代の流れで

私がドイツ語を子供のころ習いたかった訳は、ドイツ語の歌を原語で歌いたかったからと以前に書きました。私はウィーン少年合唱団が大好きで、小学校のころ母に私も日本の合唱団に入りたいと訴えたのですが、即座に却下されました(笑)。お金がかかると思ったのか、才能がないと思ったのかはわかりませんが。そのウィーン少年合唱団ですが、団員になるとアウガルテン宮殿での寄宿舎生活を過ごし、いくつかに別れたグループが、世界の各国で演奏会を開きます。最近は各国からも数名の団員がいて、日本の少年も今はいます。オーストリアの人にとってもこの合唱団はあこがれの場だったんですよね。500年以上の歴史があり、シューベルトも団員だったんです。ところが、時代は変わり、人々の生活も変わり、価値観も変わり、応募者が減っているのだそうです。いろいろ理由はあるのでしょうが、家庭で音楽を楽しむことが減り、生活様式が変わり、海外旅行も簡単に行けるようになり、、等々。寄宿舎生活での厳しい毎日も問題になっているのだと。シングルマザーが増えたり、仕事をもつ母親がより子供との時間を過ごしたいという希望も増えているのだそうです。寄宿舎生活では、なかなか子供とは会えないですからね。

ずいぶん前にオーストリアを旅行したとき、たまたま同じコンパートメントでご一緒した、いかにもジェントルマンという感じのビジネスマンはウィーンの方で、ご自身はバイオリンを弾き、ご家族も楽器を演奏されるようでした。あの時代はおそらくまだ家族で演奏会を開くような時代だったのでしょうね。

一方日本では、秋田のなまはげが優しくなってしまったのだとか。なまはげはニュースなどでよく放送されていましたが、鬼の格好をしてこわ~いイメージです。でも今は地元に残る人も減り、高校生や都会にでた人が頼まれて鬼になっているそうで、昔の怖さは全くないんですって。おまけに迎える側の家族も、家の中に入ってくるわけだし、またきちんとおもてなしもしなければならないらしく、それが面倒だし、嫌だと。。。。いつぞやどこかのお祭りのポスターでもめたことがありますが、時代とともに、伝統や文化も変わらざるを得なくなってしまうのですね。ちょっとさみしい感じ。確かに10年前くらいに京都出身の方とお話したら、祇園祭りも担ぎ手を捜すのが大変とおっしゃってました。

古い伝統も文化もそんなに簡単に「はい!」って伝えられるわけではないし。内容によっては厳しい練習なども必要だったりするのでしょうからね。今の時代ではなかなか職人さんの跡継ぎがないっていう話も珍しくなく、、、、その技もその代限りで終わってしまうっていう話もあります。ああ、もったいない。

ことばだって時代とともに変わってくるんですからね。昔は文法上間違っていたことばが、今は様変わりして受け入れられてしまう。でも一方では、古いものを見直したりする傾向もあり。昭和の時代の映画が作られたり。お互いに新しいものを「それなりに」受け入れつつ、古いものを「見直す」という、相容れる考え方が今できることなのでしょうか。

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2010年2月11日 (木)

もったいないのこころ

今日は休日出勤です。何のためかというと、オフィスの椅子のクリーニングに立ち会っています。社内の中の椅子のいくつかが、年数は経っているものの結構いい椅子なので土台はしっかりしていて、、、、ではクリーニングをしようということになったのです。安い椅子は買う時は安いのですが、すぐにだめになるのでこのほうが経済的ですね。一つサンプルを見せてもらいました。使用前、使用後、みたいに。えぇ!こんなになるの?ってびっくりするくらいきれいになります。どうも強力スチーム洗浄方式のようです。

不景気なことと、ものを大切にという流れが広まったことで、最近はリフォームグッズも結構売れているのだとか。いいことですね。実はかねがね思っていたこと。ナチュラル志向のお店で、中身は体にいいものをという素材を使っていますが、入れ物に気を使ってないんですよね。入れ物もプラスチックではなく自然に燃えやすいものとか、包装紙とかにも気を配ったらどうなんでしょうって。どうせやるならそこまでやったら?っと思ってしまうのは私の年齢のせい?子供の頃はごみって少なかったですよね。だって家庭で燃やしていたし、燃やせるものだったから。経木とか新聞紙とか竹の皮とか。買い物も買い物かごを持っていって買っていたし。

最近は雑巾も買うような有様。我が家は一人なので食器洗い機なんてリフォームの際に断ったのですが(これ、今は標準装備なんです)、食器洗いも普通の食器洗い洗剤を使わないと確かに泡立ちは悪いけど、手は荒れないですね。洗濯にはお風呂の残り湯を使います。尤も最近買いなおしたいまどきの洗濯機はあまり水を使わない方式なんだそうで、あまり水は減らないんですけど。でもその代わり時間がかかるの。丁寧に洗ってるらしい。その分電気代は?なんて思ってしまう私です。丁寧に洗って、なおかつ時間も短ければいいですね。両方は満たせないのかなぁ。

さて、今日のクリーニングは椅子が50脚くらい。はたしてどんな風にリフレッシュするのか、明日出勤したその椅子の持ち主たちは、気がついてくれるかしら、びっくりするかしら??

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志を成し遂げる

先日奈良に行った際、唐招提寺で購入した念珠です。

ついこの間終わったSn3k00480001_3平成の大修理で使わなくなった金堂に使われていた古材の松を使った作られたものなのだそうです。古材ってどのくらいのものなのでしょう?創建当時なら千年を超え、途中の何度かの修復の際のものなら数百年あるいは数十年かもしれませんが。この大きな中心の珠のところには「共結来縁」と書かれています。鑑真和上のお言葉で「同じ日月を頂く我々は、仏の戒を一つでも多く保って、共に来るべき有難い縁を結ぼうではないか」という願いが込められているそうです。びっくりするほどの安いお値段で頂いてしまって申し訳ないくらいです。こんな風に作るだけでもだいぶ手間がかかったと思うのですけれどね。

もう30年も前に「天平の甍」という映画を見ました。簡単に言ってしまえば日本の僧侶が遣唐使船で留学僧として中国に渡り、10年後に鑑真和上と出会い日本への来日をお願いする。その後はご存知の通り12年という年月をかけて日本にやっとたどり着くわけです。井上靖さんの原作を読んでいないので、映画が原作に忠実なのかどうかはわかりません。 ただ当時20代だった私が、この映画にずいぶんと感動したのは事実です。なかなか登場してこない鑑真和上(田村高廣さんですが)がやっと画面に登場したときに、その存在感を強く感じたものです。本当に存在感がありました。唐招提寺の鑑真和上の像は厳しいようにも見え、穏やかなようにも見え、でも意志の強さは確かに感じます(普段はこの坐像は拝見できません)。

理由はともあれ、ある志をもってそれを成し遂げるということは、なかなか凡人にはできることではありません。昔日本にキリスト教を伝えようとした宣教師たちにもそういう志があったのでしょうね。「一念岩をも通す」ということばがありますが、ついつい挫折してしまいがちな私たちの日常。そんな大きなことではなくても、ある「おもい」があれば、きっと成し遂げられるのだと思います。ちょこっと小さな目標から作ってみましょうか。。。。

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2010年2月 2日 (火)

仕事にみつける幸せ度

いつぞや納棺師の話を書きましたが、そのルーツが昔の青函連絡船の洞爺丸の沈没事故にあると知りました。千人以上が亡くなったわけですが、その遺体が函館の浜に流れ着き、その遺族との対面に役立ちたいと、地元の方が葬儀社の人たちとお世話したのが始まりなのだとか。
ところでここでお話しするのは若い葬祭フラワーコーディネータのお話。実家が生花店、兄が葬儀社。兄とは争いたくないという気持ちでバッティングしない葬儀でのお花の仕事をしようとします。フラワーアレンジメントの学校へ通い、仏事の教えをお寺で教わり。そんな時親友が事故で亡くなります。骨壺だけのわびしさにおどろき、後日ひまわりを山のように持って行き、部屋をかざります。その後、そのお宅は家紋をひまわりにしてしまったという事実が彼に花の力を信じさせることになり、その道に入ります。お母様はそのお花に救われたのでしょうねぇ。そして人づてにうわさが広まり、依頼が増えたとか。普通の葬儀用のお花ではなく、ひまわりのときのように、その人によくあった素敵なアレンジのようです。

確かに私も母の葬儀のとき、普通の菊とかお葬式用のお花はいやだなと思いました。結局華やかとはいかないまでも、きれいなお花のアレンジのものを選びました。母は結構おしゃれな人だったから、きっと満足してくれたのではないかと思います。最近は芸能人などの葬儀のときもお花のアレンジはずいぶんと華やかになりました。わずか20代の若さで、その感性を活かし、なおかつ遺族にも喜ばれるそんな仕事を見つけた彼は素敵ですね。

自分の好きなことが仕事にできている人はそんなにたくさんはいないと思うのです。そしてそれが人を喜ばせるとか、慰めるとかができる仕事の人はもっと少ないですね。でもそれぞれの仕事で、誰かに喜んでもらえて、その誰かの笑顔でまたうれしくなる、という仕事ありますね。たとえば以前に書いた東京駅のコーヒーショップのお嬢さんとか(その笑顔のおかげで気持ちよくでかけられました)。今回京都で泊まったホテルですが、ホテルの正面からお客様が見えると、荷物を取りに「走ってきて」くれます。十年以上前に何回か泊まったホテルに久々に泊まったのですが、今回も同じようなサービスでした。その気持ちがうれしいです。そういうサービスを受ければ、客の側も笑顔で返すことになり、双方が幸せになります。

あなたも今の仕事にしあわせみつけてください。

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